~ラジカルな祝福を浴びて~(続き⑤)

永遠を見つめて

人生は今ここを遥かに超えたものであり、徹底的に従順な人は、この永遠を視野に入れて生きています。人生とは、快適であることでも、最も安易な道を辿ることでもありません。自分の命を差し出し、この世に本物のインパクトを与えて生きることです。それは、宗教的な義務を果たして生きるということではなく、愛と感謝に満ちた心で仕えたいと願うほどに、神との関係を愉しむことなのです。私たちのこの世の時間は、永遠という線上にあるほんの小さな点に過ぎません。この短い瞬間に何を為すかが、私たちの永遠の運命を決めるのです。徹底的に従順である人は、永遠をみつめる眼を授けられています。

徹底的に従順である一例

新約聖書に登場する徹底的に従順であった女性の物語に、わたしはとても心を惹かれています。それは、ラザロの姉妹マリアです。マリアのイエスに対する愛のすごさにわたしは感銘を受けています。彼女は徹底的な従順の本質というものを理解していた女性でした。いつ耳を傾け、いつ行動すべきかを、彼女は知っていました。主の御足元に座っているだけでいい時と、主への溢れるほどの愛を注ぎ尽くすべき時とをわきまえていました(マタイ 26:6-13)。

イエスは、御自分が十字架に付けられるであろうことを伝えたばかりでした。マリアは、自分の持てる最も高価な香油をアラバスターの壺から取り出し、イエスに注ぎかけました。普通、香油は死体に注ぎかけるものなのですが、マリアは、まだ生きておられるイエスに香油を注いだのでした。それは、きっとイエスが十字架上までマリアの愛の香りを感じていられるためであったと、わたしは思うのです。

マリアはその贅沢な行為を弟子たちから叱責されました。でも、イエスは即座に彼女を弁護されました。他の人には無駄な消費と思えたことを、イエスは福音のメッセージを実践する最も清らかな形態であると思われたのでした。マリアの主への愛は、惜しみのない、他の誰が何と思おうと、自分の心配をしてくれようと、気にもかけないほどのものだったのです。マリアは、この行為によって、あからさまな愛を示し、それは正解でした。イエスは御自分の愛をその場でマリアに注ぎ返し、こう言われました:「よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」と(マタイ 26:13)。

このようなささやかな従順の行為が、かくも広範囲に及ぶ影響力を持つなんて、驚きではありませんか?そうしたことは、私たちの人生にも起こり得るのです。確かに、マリアは徹底的に従順な女性で、徹底的に祝福された女性でした。。。あなたも、そうなれるはずです。
(続く)