~前書き~

「ペスト」は1947年6月に発表され、あらゆる善意の人々に大きな影響をあたえた。
「ペスト」に描かれている追放と別離の感情とともに、そこに描かれている人間の条件、人間の道徳が戦争 ー 殊にフランス人にとってはドイツ軍の占領という苦い体験 ー の記憶の生々しい当時の人々の心に訴えたものであろう。しかし、この小説が多くの人々に感動を与えたのは、そういったことだけによるのではない。「ペスト」は以上の問題のほかに、というよりはむしろそれらの中に秘められたさらに大きな問題、すなわち「人間の幸福」という普遍的な問題を含むものだからである。「人間が意識に目覚めた最初のときから、その意識が消え去るときまで最も熱心に求めてやまないものとは、なんといっても単純な幸福感にほかならない」(ヒルティ:「幸福論」)。今日までのあらゆる時代に人類はそれぞれのやり方で幸福を求めてきた。
ある人々は富や権力、名誉、ほか様々な快楽を求めることによって、幸福へのアプローチを試みた。しかし、人間の欲望は限りを知らない。欲望の充足によっては、人間を完全に幸福たらしめることはできないし、また、それらは戦争という破壊行為によって、脆くも崩れ去る危険性を有している。では、愛や思想、宗教によるアプローチはどうであろうか?これは前者のアプローチの仕方よりも効果的のように思われる。
しかし、愛が冷めたときは、思想に限界が感じられたときは、宗教心を持つことができないときは、一体どうすればよいのであろうか? 宗教的信仰や科学文明の発展が人間に幸福を与えた時代もかつてはあった。しかし、今やそんな時代は過ぎ去ってしまっている。
そうなると私は考えてみたいのである、現代の我々にとって幸福とは何であるのかを。日々を快適に、充足感に満たされて生きている人間にとり、「幸福とは何なのか」の問いかけは、あるいは、大した意味を持たないかもしれない。しかし、この問いは、精神的にであれ、肉体的にであれ、苦悩する人間にとっては重大な意味を持つものなのである。「人間のあくなき幸福の追求」これが「ペスト」において私の見出した課題である。「カミュの幸福の極地は幸福の追求である。カミュは幸福の文学の中に列せられるべきであって、決して救済の文学の中に列せられるべきものではない」とシャルル・ムレーも述べている。

この「幸福」というテーマが普遍的であることは、様々な国の作家たちの作品によっても明らかであろう。例えば、我が国の作家、夏目漱石は、彼の作品「行人」の中で、一郎という青年の苦悩を克明に描いている。一郎は、何とかして幸福(あるいは心の平和でもよい)を得たいと思って、ただひたすらに幸福の研究をしたのである。
しかし、いくら研究を重ねても、幸福は依然として対岸にあった。彼は二六時中何をしても、そこに安住することができない。自分のしていることが自分の目的になっていないと感ずるからである。彼は人生の究極の目的は何かを常に問いながら、その回答を得られぬために、不安と焦燥の日々を繰り返さねばならぬのである。人並みすぐれて明晰な理智を有している彼は、まさにその明晰さのゆえに、考えて考えて考え抜いたあげく、何ものも信じることができない。
かくして、「死ぬか、気が違うか、それとも宗教に入るか」の三つの境地に追い込まれつつ、そのいずれをも選び得ず、相変わらず苦悩し続けるのである。この一郎の苦悩は、そのまま現代人の苦悩でもあると言えるのではなかろうか。

カミュが小説「ペスト」において提起した問題も、まさにこの一郎の問題、とりもなおさず、我々現代人の問題なのである。ある日突然オランの町に襲い掛かったペスト、このペストが惹き起こした数々の悲惨な状況の中で、いわれなき人間の苦悩と死とに直面して、人々の心に芽生えたものは、不条理の感情と、その不条理なペストから身を守ろうと精一杯の抵抗を試みる人間の気概である。
ペストの最中に苦悩と死とを眼前に付けつけられて、人々はもはや通常の生活に見出していた、もしくは見出そうとしていた一般的な幸福の観念を念頭から拭い去らねばならなかった。希望も未来も奪われて、人々に残されたものと言っては、「ペスト」という不条理な生の現実だけであった。
人間は一体、この閉ざされた現実の中だけで生きてゆかれるものであろうか、何の意味もない苦しみに耐えてゆかれるものなのであろうか?こういった現実から目をそらせ、束の間の快楽にわが身を使い果たすことによって、日々を過ごそうとする人が大半であったオランの住民たちの間にも、また別の生き方をする少数の人々があった。その人々は、「ペスト」の如き限界状況の中にあってもなお、人間が見出すことのできる幸福とは何かを求めて、不条理な生との戦いをつづけていた。

「ペストを中心にみたカミュの幸福観」と題するこの小論文で、私が述べようとするのは、カミュの幸福観についてなされた一般的な解釈と、その解釈を特に「ペスト」に当てはめてみた場合の具体的な説明、及びそこから抽き出した私自身による宗教的な問題の設定と帰結である。

(つづく)