Dear Sr. Sakuma,
Happy Easter!
相変らず出遅れていて、ズッコケそうな手紙だなぁと思いつつ、書いています。きょうはすでにEaster Mondayです。2月にもお便りをいただいたばかりなのに、時間の経つのの速いこと!
枝の主日、聖週間と久しぶりに信徒としての practice をやってみて、体力的に儀式についてゆくことができず、それがストレスとなっています。信徒としての義務と責任の縛りが、ストレスから自由になろうとする心とうまく折り合わず、カウンセリングに助けられながらも、心理的と、霊的、精神的なバランスがとれずにいます。年齢のせいなのか、それとも世相の影響なのか、いずれにしても今までの自分に無理があったことはたしかで、教会の教条的な雰囲気が今の、弱い自分に正直でいようとする自分、誰も責めることなく自分の弱さを受容しようと思う自分に合わないみたいなのです。価値観の多様化とか個の尊重とかを安易に主張するつもりはないし、うまく言えないのですが、自分にとって正しくて善でも、他の人にとってもそうとは限らないし、逆もまた真なりかな。。。と。
実は、先日精神科の医師に、わたしの問題は「脆弱性」つまり、生物学的に脳神経がストレスに弱いということです、と診断されて、平たく病名をつけると「非定型精神病」というのだそうで、極度のストレスに晒されて発病したらしいのです。病名はややショッキングですが、実態には変わりがないわけで、これがテルコの personality だと受け入れているところ。そういう状態で、なんにもできなくて、まだ社会年齢的には働ける年齢なのに、仕事があっても、期限があるとストレス、人間関係があるとストレス、頭を絞るとストレス、etc.というわけで、毎日ぼーっとして暮らしています。理解されることを、時には理解することも含めて、諦める必要があることを知りました。捧げるものが何もないの。
そんなわけで、わたしの信仰は今すこしぐらついています ー 昔(30年位前)教会の敷居が跨げなくて扉の外側で足踏みしながら受洗にこぎつけるのに14年もかかってしまった頃に、今のわたしの心の状態は似ています。より早く(速く)、より多くを求める流れからはみ出して自分の primitive 性に気付いた今、神さまを信じる気持ちまでが非常に primitive な地点に戻ってしまったみたいです。もしかしたら、信念で信者をやっていたんじゃなかろうか、集団催眠に罹っていたんじゃなかろうか、とさえ思ってしまいます。明治神宮の森や芝生、あるいは自宅の片隅にうずくまっているときの方が、教会よりも心が安らぐのはどうしてだろう?こんな思いを打ち明けられる神父さまがいない(というよりわたしの気持ちが教会から離れてしまっているからなのだと思いますが)ので、シスターについ、ごめんなさい、書いてしまいました。
時間はたっぷりあるのに、エネルギーがないので時間の経つのが速く感じられ、退屈しないのがありがたい生活です。母の年金を分けてもらって暮らしています ー 母が元気でいてくれるのもとってもありがたく、神に感謝です。お元気でねー。Teruko