笙子ちゃん、
お便りをありがとう。昨日届きました。
苦しみは恐らく、神さまに捧げる以外、そして自分でそれを味わい尽くし、自力でそこから這い上がる以外、緩和されることはないのではないか
と思っています。説明して理解される(あるいは話をして共感を得られる)なら苦しみ甲斐もあろうというものですが。。。
わたしが今ようやく判ったことは、自分が子供の頃からウツの環境にいたこと、その中でさらに病弱というストレスを抱えていたこと、そして、その事実に対して責任をとれる人は誰もいない、つまり誰も責めることはできないこと、でも、その事実は事実として厳にあったし、その結果が今の状態になっているということ、そのことから目をつむっては、救いの光も見えてこないのだということです。病弱や病気ならウツになって当り前だし、まして感受性が強ければ、元気で自己主張の強い家族や周囲の人々に振り回されることは ー 本当は振り回される自分にも責任があるのだろうけど、体力がないから、その抵抗すらできないことが多い ー しょっちゅうです。そして、ウツは更にひどくなるという訳です。
ここまで来たら、自分の力を信じること、神さまに支えられ、苦しみを共感できる人(同情とはちがうヨ!)を心の支えにして、一日一日を全うしてゆくしかないのではないかと思うのです。
ラファエル神父さまは亡くなられる数か月前に、「自分のからだの声に耳を傾けて」とおっしゃっていたのを思い出しました。あぁ、神父さまはご自分の体に良かれと思ってリハビリに励み、そのたびに体調が悪化し、頭がこうしたいと思うことと、現実の肉体が必要としている体の訴え(叫び)とのギャップに苦しんでもいらしたのだ、と今思い至りました。なぜならわたしも、食べる、眠る、そして回復するという基本的な生命のリズムが狂っている為に、わたしにもそのギャップが生じていると自覚しているので。
わたしは今このことを書くのが精一杯で、もうわかっては頂けないだろう神父さまやシスターたちに連絡を取るのもおっくうなのです。祈って下さっているかも知れない、思い出して下さっているかも知れない、そう思うだけです。わたし自身は神宮の森で風に吹かれて、空を眺めて言葉にならない思いを抱いて過ごしています。将来のことは考えないようにしています。唱える祈りは殆ど出来ません。唯一できて、しているのは聖体奉仕会(秋田)の祈りです。笙子ちゃん、自分自身を大切にね。内なる自分を殺さないように。晃子 1997.7.23(水)