その日、飛行機を降りる時、涙をこらえるのがやっとでした。三人の心が徹底的に変えられた日だったのです。
あのビジネスマンは、きっとイエスを自分の主であり救い主であると知るに至ったに違いないとわたしは思いました。そして、あのご婦人も同様であっただろうと思うのです。そればかりか、わたしの心までも、劇的に変えられたのでした。神がなさったことに大喜びする一方で、神にこれまで何度否を突き付けてきたのかを振り返ると、心が張り裂けそうになりました。神の聖なるお約束を見逃すなんて、なんと悲しいことでしょう。わたしは自問し続けました:神さま、わたしは御身に何度否を突きつけたのでしょうか?疲れすぎているから、不安すぎるから、不確かすぎるから、忙しすぎるから、あるいは、あまりの身勝手さから、御身のわたしへの聖なるお約束をこれまで見過ごし、御身を体験しそこなってきたのでしょうか?わたしは気を取り直して、心を神に向け、ささやきました:「否を突きつけたあの頃のすべてを、どうかおゆるしください。主よ、今からわたしは、御身が何をわたしにお命じになろうと、それがわからなくても、はい、そのように致しますと、お返事いたします。御身がわたしの中に「諾の心」をご覧になることを、わたしはひたすら望みます」と。
飛行機を降りて数分後、人々にもみくちゃにされながら、乗り継ぎのゲートを探していた時、再びあのビジネスマンを見つけました。彼はわたしに声を掛け、これまで神に祈って来たこと、そして、今回飛行機で起こったことに対して神に感謝していることを伝えてくれたのです。私たちは名刺を交換し、いくつかの州を跨いだ地域に住んでいるけれど、連絡を取り合うだろうと感じました。
そのおよそ一か月後、彼は電話を掛けてきて、生活が一変したことを伝えてくれました。一週間の休暇を取って、聖書を読み、既に多くの人たちに自分の体験談を話していました。その話を彼がわたしにした時、思わず口があんぐり開いてしまいました。聖書を読むために一週間も休暇を取るなんて、わたしならあり得ないとは、とても彼には言えませんでした。神は確かに、真剣にこのビジネスマンを追いかけておられたのです!お気に入りの一節はどこですか?と訊いた時、彼の答えは 箴言 3:5-6:「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにしてくださる」でした。何と、神はわたしの新しい友人に既に答えておられたのだわ、とわたしは思いました。
彼はまた、聖書を読んだ後、教会に関わる必要を感じ、地元の大きな教会を訪れることにしたこと、そして、その道中で、別の教会を通り過ぎた時、待てよ、戻ってその教会に行ってみようとの思いが強く起こり、行ってみたことを話してくれました。彼は聖堂に腰かけて、式次第を開いてみて驚きました。そこにはわたしの写真があって、近々予定されている婦人会でわたしの講演があると記されていたからです。その時彼は、またもや、神が自分のために歩みを止められたと感じたそうです。
あの日飛行機の中で、神がこの男性に自分の聖書をあげるようにとわたしの心に働き掛けられた時、その後何が起こるのかは知る由もありませんでした。この男性は、ことによると、わたしの聖書をゴミ箱に捨ててしまったかもしれないのです。普通なら、自分の聖書を他人にあげないための理由をいくらでも、思いついたはずです。でも、その日は、何かが違ったのでした。その日、わたしは初めて、神に肯う女性の呼びかけを聞いたのだと思います:「神の仰せになることは何でもおやり」と。
(続く)