~更なるものを求める魂~(続き④)

わたしは友人の湖畔の家で三日間静養していて、その間にたくさんのものを書き上げたいと思っていました。締め切りが迫っていて、目の前に山と積まれた仕事を片付ける必要がありました。静養の第一日目は、とても上手く行きました。2000語も書き上げ、そばに居た友人たちは、私の書いたものを気に入ってくれました。わたしは自分の仕上げたことに大いに満足して、床に就きました。完成した原稿の姿と編集者の賛辞が一晩中夢の中で踊っていました。翌朝、もう一つの仕事の山を片付ける意欲いっぱいで目覚めましたが、先ずは前日に成し遂げた仕事を惚れ惚れと見たいと思いました。ところが、ドキュメント・ファイルを開けてみると、原稿はどこにもなかったのです。

パニックになるのを堪え、友人たちの助けを求めました。前の晩三度も保存したドキュメントを探し当てることはすぐにできると彼らは思っていました。二時間も探し回ったあげく、友人の一人はわたしの顔を優しく見つめて、全員が知ることになる真実を口にしたのでした:「ライサ、どこにもないわ。最初からやり直す必要があるみたい」と。

ちょっと待てよ。その日は神に肯い、大いなる静けさのひと時をすごしたのです。神ならお出来になる、神は原稿を探し当てるのを助けてくださると、わたしは思いました。でも、どういうわけか、原稿は消えてしまい、神はそれをわたしに返さないことをお選びになったのでした。目には涙が溢れ、苦い思いが心に忍び寄って来ました。何故、こんなことを神はお許しになるの?友人はわたしの絶望感を感じ取り、優しくこう言いました:「ライサ、この喪失を神への賛美の生贄(sacrifice)と考えてごらんなさいな。今日失ったロスの大きさを考えると、神に真の生贄を捧げるのはとても難しいわ。でも、2000語もの喪失と、まる一日かけての仕事は素晴らしい捧げ物だと思うの。辛さを抑えて、神にお捧げなさいな」と。

わたしは、善意でそう言った友人をにらみつけて、反抗しました。すると、彼女は突然古き懐かしき歌を歌い始めました:「われらは賛美の生贄を主の家に捧げる。。。」と。第二節に入る頃には、いつの間にかわたしもハミングしていました。まだ歌う気持ちになれていたわけではありませんが、ハミングすることで、気持ちは安らいで行きました。神に肯う女性になるということは、神が何を求めておられるのかわからなくても、神を信頼する道を選ぶことなのです。それはまた、一度神に肯ったならば、道がどれほど険しくなっても、後戻りをしないということでもあります。

このような従順の姿勢があれば、あなたの人生観はより大きなものとなるでしょう。日常の出来事を神の視点を通して見る時、どんな状況も、出会うどんな人も、神のご計画による神との出会いにほかならないことに気付かされます。一日一日が大切であり、すべての行動や反応が重要なのです。神は普通の人々に関わることを殊に愛され、彼らの中で、彼らを通して、彼らと共に、普通ではない特別なことをなさるのです。
(続く)