~更なるものを求める魂~(続き⑥)

恵みに至る道

あなたは、ラジカルな従順と言うものが、それほどラジカルでないことを知って驚かれるかもしれません。それは、まさに聖書的な従順なのです。でも、私たちは、神に肯うことが今ではラジカルと思えるほどに、聖書的な従順からかけ離れたところを彷徨っています。現代社会では、神のご命令に従順であること、聖霊の信念に耳を傾けること、イエスの御性格に倣って歩むことはラジカルなことです。でも、ラジカルな従順なくしては、神が私たちのために備えてくださったラジカルな恵みを体験することは、決してできないでしょう。それこそは、恵みへと至る道なのです。女性が神に肯う時、それは起こります。
そして、従順に歩むことに十分な注意を払わないならば、豊かな恵みを見出すことはできないでしょう。とは言え、従順とは、ただ「罪を犯していない」と言う状態ではなく、それ以上のものです。それは、いついかなる時も、神の御心の中心を歩みたいとのやむにやまれぬ望みを抱くことです。自分が完璧でないと恐れたり、きっと間違うにちがいないと思ったりして、躓かないでください。神に肯うということは、完璧なパフォーマンスではなくて、日々を主に委ねきることなのです。あなたの従順は、その望みを実際の行動に移す時にラジカルとなります。ラジカルな従順とは、神の声を聞くこと、神の促しを感じること、神の御働きに与ること、そして、滅多に人が思いつかない方法で神の恵みを体験することに他なりません。

それが知りたかったことなのよ、と思われる方は、どうぞこのままお読みください。

七つのシンプルな言葉

自分の聖書を人にあげた日の話を聞いた人からはよく、その聖書は返ってきたの、と尋ねられます。その度にわたしはちょっと笑ってしまいます。だって、正直に言うなら、わたしはその聖書を(それ以来、手放した他の聖書も)返してほしいなんて思ったことはないからです。いつだったか、こんなビジョンを見たことがあります:齢をとり、グレイヘアになったある日、飛行機に乗っていて、隣に座った人が話しかけてきました。その女性は、見知らぬ人から聖書を貰った日から彼女の人生に起こる神の不思議な出来事を話してくれました。その聖書をくれた見知らぬ人は、別の見知らぬ人からその聖書を貰い、その見知らぬ人もまた、更に別の見知らぬ人からその聖書を貰ったという話です。それから彼女は、バッグから擦り切れたぼろぼろの聖書を取り出しました。それは、昔わたしが持っていた物でした。まぁ、なんという日でしょうか!

その日聖書をあげた男性は、その後に起こったことをいつもわたしに報告してくれました。その話を聞いた他の人たちからも、それがきっかけで人生が変わったと言う話をしてくれました。最近のことですが、ある女性から手紙が来て、「その聖書をくれた男性」があるビジネス・ミーティングを開き、そこで彼女は、神がどのようにその男性の人生を変えられたのかを知ることになった、と言うのです:

 あなたとわたしの共通の友人を訪問した帰り道のことです。彼の名前はロンです。長年の間、わたしは彼が自分の成功と人生での決断に悩んでいたことを知っています。今日、ロンは、全く新しい気分が漲っていました。あなたの行動が彼を神との触れ合いに連れ戻したのです。彼はその時の話をしてくれ、あなたに会った経緯、あなたの行動の及ぼした影響についてつぶさに述べました。私たちは、神がパワフルなお方で、神の声には耳を傾けなくてはいけないことを知っているのに、どういう訳か、神を閉め出してしまうことがあるのは、不思議じゃありませんか?この話を聞いた時に感じた気持ちをどう説明していいかわかりませんが、神の御言葉をもっと積極的に広める方法というものを、今私は探し求めていると言うことははっきりしています。あなたとロンが、素晴らしいメッセンジャーでいてくれることに感謝!
(続く)