(五つの質問事項をフィルターにかけて実現する)
神の声は力強く、優しく、こう仰います:「恐れてはいけない。わたしが荒れ野で悪魔に出会った時のことを、霊の剣で、すなわち神の御言葉で打ち勝った時のことを思い出しててごらん。あなたも、邪悪な存在に突き付けられたようなあらゆる恐れに対して、素早い応答、わたしへの信仰と信頼の応答を持っているのだよと。可能な時は、それを声に出して言ってみてください。声に出した言葉には力があります。どんな恐れも、病気や不安による弱さとしてではなく、撃墜して、退治すべき現実の誘惑として捉えてみてください。道は石ころだらけの道に見えますか?石ころがあったって、あなたの前進を妨げることはできません。勇気を出して!未来に向き合って、それも、大胆で幸せな心で向き合ってください。未来を見ようとしてはいけませんよ。見ようとしたら、信仰からその崇高な甘美さを奪い取ってしまうことになります。すべては順調だということを、そして、見ることではなく信じることである信仰が、あなたに石ころだらけの川を安全に渡らせてくれることを知ってください。」(A.J. Russel, ed., God Calling (Grand Rapids, MI:Spire Books. 2005), 113.)
ですから、未来に向き合う時は、できるだけ勇敢に立ち向かえるように信仰にお任せするのです。私たちは聖書を次々と引用して、神に念を押しました、私たちが神に完全に信頼しながらひたすら肯ってきたのは、それが神の冒険だったからなのですねと。それで私たちが何を発見したか、あなたはお分かりですね。純粋な喜びです。必然的に向き合わされた環境でではなく、私たちが神に従順であり、神の御旨のまさに中心を歩いていたとの絶対の確信の中で見つけた喜びなのです。
この養子縁組という大冒険をやってみたら、もう少年たちのいない生活なんて考えられなくなっているというのが、正直な実感です。恐れや不安におびき出されるのではなく、神の完全なご計画に従うことのできたことを、とても感謝しています。少年たちは今では成人して、わたしはますます、彼らがわたしのお腹を痛めた子供ではなかったけれど、わたしの心から生まれた子供なのだと、確信するようになりました。それこそは、若い頃ぽっかり穴が開いたように感じていた、わたしの心のその場所の目的だったのでしょう。そこは、神が少年たちを家に連れて来てくださった通り道だったのだと、今わかります。
あなたの神との会話にも、この五つの質問を出発点として投げかけてみてください。神の声に耳を澄まして、神と会話をすることがいつも自然にできていたわけではありません。今日にいたるまで、望みと、節制と、識別と、方向性と、悦びを求めて、探り当てなくてはなりません。望みを求めるのは、何よりもまず神を求めるため。節制を求めるのは、神との関係を最優先するため。識別を求めるのは、自分の思考と神の声との違いを見分けるため。明確な方向性を求めるのは、人生の岐路に立った時のため。神との関係は、義務感からではなく、純粋な悦びに満ちたものであってほしいと願っています。あなたは、このような神との関係を求めて神に祈ったことがおありでしょうか?これらのことを大胆にお願いし、神からの応答を期待して生きるならば、願いは叶えられるでしょう。エレミヤ書 29:13 には、こう記されています:「わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」と。それから、神に肯う応答をして、完全に頼り切り、栄えある従順のうちに、自信に満ちた歩みを続けることです。
そうです。確かにわたしは、神に肯う女性でいるのが好きなのです。
(続く)