霊的には:健康でありたいという望みをお与えくださいと神に祈らねばなりませんでした。上辺だけの「なりたい」が長続きしないことをわたしは知っていました。浅はかな望みは浅はかな結果しか生まないのです。わたしは、神ご自身から力を頂いた、霊的な「なりたい」を探さなくてはなりませんでした。
そこで、わたしは、心から神に願い求めました。神の助けを求めて叫んだのです。すると、日ごとに、必要なだけの、神さまの御力に彩られた「なりたい」をくださり、わたしは健康的な選択肢に満たされるようになったのでした。
神はまた、これが霊的にも重要な意味を持つ問題であることをわたしの心に植え付けてくださいました。聖書の冒頭に綴られた女性と食べ物との会話、イヴの物語を思い起こしてみましょう。明らかに、イヴの心が惹かれたのは、自分が善と悪を見分ける神のようになりたいとの思いからでした。でも、そこで忘れてはならないこと、それは、蛇が食べ物を目的を遂げる道具として利用したということです。人間の堕落の始まりが、食べるべきでない何かを食べる誘惑に負けたことだとするならば、食べ物との闘いは、神の眼から見ても重要だとわたしは思うのです。
身体的(物理的)には:本書の霊的な目的は、魂を揺さぶることですが、物理的な現実のためには、そうした霊的な視点を具体的な選択に生かすことが必要です。
この旅路を始めた時に、ようやくわたしは、自分が何を食べているのかを認識せざるを得ませんでした。わたしの体重は、自分の選択と健康状態を直接的に反映するものであったからです。
そこでわたしは、主治医を訪ねることにしました。皆様も、健康な食生活の計画を開始する前に、主治医をお訪ねになることをお勧めします。自分がちゃんとやっていなかった、もしくは、健康に最善の食生活をしていなかったことを示す結果を別にすれば、検査結果は正常で帰って来ました。
ムムム、何故に医者という者は、正しい食生活と運動をと、ありきたりの御託を並べるのかしら?
体が重たい?なら、バランスよく食べ、もっと動きなさい。気が滅入る?なら、バランスよく食べ、もっと動きなさい。次回、喉の痛みで通院しても、きっとまた同じことを言われるに違いない。バランスよく食べ、もっと動けと。勘弁してよね。主治医の知識では、わたしの問題に踏み込むことすらないのです。彼の言うことは、言われる前から分かっているわ、お分かりかな?バランスよく食べて、もっと動くんですよって。
医者の言うことも検査結果も正しかったのです。わたしの体重の問題は食生活に直結するものでした。それだけのこと。わたしはそのことを認めなければならず、行動を起こす必要がありました。
精神的には:きっと妥協することに疲れていたのだと思います。妥協する(compromise)から接頭辞の com を削除すると、どういう意味になると思いますか? promise 約束すると言う意味になります。私たちは妥協する以上のことをするために造られているのです。人生のどの分野においても、神の御約束を果たすために造られているのです。
正直に認めますが、わたしは、食べる、稼ぐ、ストレスを受ける、食べて、稼いで、ストレスになる。。。そんな悪循環を続けるために造られたのではありません。それ以上のことをするため、起き上がり、自分の問題と闘い、内なる神の御力を借りて、それらを打ち負かし、神に栄光を帰するために造られたのです。