ライティングデスクの中を整理していたら
こんなニュースレターを見つけた:
1997年6月の「湯沢台の聖母」(秋田聖体奉仕会)
故尻枝正行神父さまの言葉が改めて心に響いたので、ご紹介したい。
たまたま、今日は聖ヨハネ・パウロ2世教皇の記念日。
長文なので、2回に分けてお届けする:
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~教皇ヨハネ・パウロ2世について想うこと①~
今回は昨年の眼の手術後の経過を診ていただくために帰国しました。結果はきわめて良好とのことで安心しました。みなさんの祈りのおかげと深く感謝しております。
視力が衰えて目の前が暗くなるといった体験をしますと、福音書にあるエリコの盲人(めくら)がイエズス様に向かって「先生、見えますように」と叫んだ気持ちがよく分かります。目暗は目明きになりたいのです。このような実存的な状態を表すのに「めくら」とはいい言葉だなアと思っていたら、今日の日本ではそれは差別語で、「目の不自由な人」と言わなくてはいけないのだそうですね。遠藤周作さんが「じゃ、オレのような禿は髪の毛の不自由な人?」といって笑っていらしたのを思い出します。エリコのめくらは「見えるようになり、イエズスに従っていった」(マルコ10:52)とあります。私も眼をよくしていただいて、イエズス様の後につき従いたいと思っています。
さてバチカンで仕事をしていますと、よくひとに「教皇様の具合はいかがですか」と問われます。今では「とてもお元気ですよ。でも年を召されました」と答えることにしています。「老いるとはもっと近くから神を見ることだ」と諺にありますね。この頃の教皇様にはこの世のことを超えて神を見つめておられる眼差しを感じます。それにしても2000年の大聖年の行事が終了するまでは生きていていただきたいです。
かつてキリストはペトロに「あなたはペトロ(岩)である。そして私はこの岩の上に私の教会を建てよう」(マタイ16:18)とおっしゃいました。当然ペトロと教会はよく似ています。ペトロの後継者である教皇様も日に日に教会に似てこられます。ご自分でもパスカルの「教会は世の終りまで臨終の苦しみにある」という句を引用なさいます。そんな時、教皇様は苦しんでおられるのだなと分かります。また右足を引き摺るようにしてびっこを引きながら歩かれる様子を見ると、「教会はびっこを引きながら(clopin-clopant)天の国に至る」というベルナノスの言葉を思い出してしまいます。教会という重い十字架を背負って一歩一歩歩かれるその姿が痛々しいです。
今の教皇様には三つの大きな課題があります。
第一は「一致」ということです。まずはカトリック教会内の一致、それからキリスト教諸教会の一致、そして最後に人類大家族の一致ということです。
第二は「対話」。まずキリスト教諸教会の間の対話ですね。教皇の意図される2000年の記念行事もキリスト教の一致をめざす大きなエキュメニカルな対話のイベントです。
次に諸宗教間の対話があります。世界の平和は諸宗教間の平和なしには達成できません。そして諸宗教間の平和は対話なしには実現できません。最近の各地の紛争を見ますと、必ずといっていいくらい宗教が絡んでいます。忍耐深い誠実な対話が必要ですね。
第三は科学技術やマネー(金)の突出した今の世に「道徳の声」「神の声」を聞かせることです。「あなたは誰?誰でもないの」という現代の無名社会にあって、「人間の顔を持つ教皇」「声無き者を代弁する教皇」に徹することです。例えばまさに堕されようとしている胎児に代わってその声なき声を聞かせる宗教的なリーダーは教皇様を措いて他にありません。
今年も大仕事がいっぱい待ち受けています。
先週の4月12~13日、教皇様はサラエボを訪ねられました。ここ数年「民族の洗浄」といった民族主義が吹き荒れ、正教のセルビア人、カトリックのクロアチア人、イスラムのボスニア人の三民族が三つ巴になって憎しみ合い、殺し合ってきました。「人間は民族主義に染まると野獣になる」とのグリルパルツアーの言葉は本当ですね。その中で教皇様はひたすら対話を通しての「赦しと和解」を呼び掛けてこられました。
4月25日から27日にかけてチェコのプラハに行かれます。プラハの司教聖アダルベルトの殉教千年祭を祝うためです。聖アダルベルトはボスニア、スロヴァキア、ポーランドといった中欧のキリスト教の精神的基盤を築いた偉大な聖人ですね。教皇様はアフリカ宣教100年とか、日本26聖人殉教400年といった記念を非常に大事になさいます。新しい福音宣教の「発動」のよすがとなるからです。
5月の10-11日にはベイルートを訪れ、1995年の11、12月にバチカンで開かれた「レバノンのための特別シノドス」の締めくくりをなさいます。レバノンもその昔「東洋のスイス」と呼ばれるくらいキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒の共存共栄を誇った国でした。それがグループのエゴによる内戦で荒廃し尽しました。教皇様は平和的共存、相互の尊重、兄弟的協力を打ち出したメッセージを発表なさると思います。
5月31日から6月10日にかけて祖国ポーランドへ6回目の訪問をなさいます。ポーランドも共産主義の崩壊後、急速な西欧化に走りますが、何しろ「お金がすべて」の資本主義市場経済への転換は大きな精神的、道徳的退廃を来たし、第五回訪問の1991年に比して情勢は悪化しています。堕胎法は成立し、バチカンとポーランドの平和協定(コンコルダート)の草案も1995年以来放置されたままです。それらの大問題に教皇様はどのように渡り合ってゆかれるでしょうか。
8月15日にはパリーでの「全世界のカトリック青年集会」に臨まれます。1995年1月のマニラでの集会の後を継ぐものです。「キリストは永遠に若い。その花嫁の教会も永遠に若い」。その証拠としての理想と情熱に燃える若者たちに教皇様は2000年代の新たな福音宣教のバトンをタッチされたいのでしょう。
10月4、5日はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで催される「家庭の集会」に出席なさいます。家庭こそ「愛の文明」を打ち立てる社会の基礎をなすものです。家庭が崩壊したら人類は亡びます。そのことを1994年の2月に出された「家庭に寄せる書簡」の中で熱っぽく語られました。1994年5月29日、ローマのジェメッリ病院から退院なさった日、バチカンのバルコニーに姿を現された教皇様は:「このマリアの月に私は神の賜物として苦しみをいただきました。私が教皇に選ばれた時、ポーランドの大主教ヴィシンスキー枢機卿に『2000年の世にキリストの教会を導入すること、これこそあなたに課された任務です』と言われました。そのために私は一生懸命働きました。でも祈りと働きだけでは充分ではありません。苦しむことが必要です。マリア様はそのことを私にお示しになりました。13年前私は凶弾に倒れて苦しみました。今年も同じ5月に死ぬ思いのする激しい苦しみを味わいました。なぜでしょう。今年は国連の”国際家庭年”に当たります。そしてこの危機に瀕している家庭を救うため、私は苦しまなければならないのです」とおっしゃいました。何と感動を呼ぶ言葉でしょう。教皇様がいかに家庭の救いに命を賭けておられるかが分かります。
来年早々には教皇様は最後の共産主義の城砦と言われるフィデル・カストロのキューバをお訪ねになります。驚くほどのご活躍ぶりですね。
最後に教皇様とはどういう方か私の印象を語らせてください。教皇様は一見タフな活動家に見えます。でもその実深遠な「神秘家」でいらっしゃると思います。昨年の暮れ、司祭叙階50周年記念に出された自叙伝「賜物と神秘」を読んで一層その感を強くしました。ですから中世の神秘家の「十字架の聖ヨハネ」に因んで私は「十字架のヨハネ・パウロ2世」と名付けたいです。
思えばパウロは「コリント教会への第一の手紙」の1,2章で「十字架につけられたイエス・キリスト以外のことは一切知るまい、宣教すまい」と決意します。これこそダマスコの回心に次ぐパウロの第二の回心と呼ばれるものですね。教皇様も最近よく十字架のキリストについて語られます。儀式のときは十字架の牧杖に額をつけ、身を委ね切っておられます。夜になればその十字架を抱きしめてチャペルの床に平伏して深夜まで祈られます。
*** *** ***(つづく)