書棚の中から、見つかった古いメモ:
~カミュの「異邦人」~
これは、母親の埋葬にはじまるアルジェリアの平凡な一青年の無気力な日々の生活と、ある日突然、彼の惹き起こす理由なき殺人、裁判、そして死刑直前の主人公の心の動きを、主人公の口を借りて、簡潔で素朴な文体で描写したものである。
主人公ムルソーの性格を特徴づけるものは、自己の感情を決して偽らないという正直さとともに、感性的、肉体的感動以外のこといっさいに対する驚くべき無関心さである。母親の埋葬にも何ら感動を示さず、ただ照りつける太陽の下を葬列についてゆくことに肉体的苦痛を覚えるだけである。彼は棺のあとをついて歩きながら、自己の目に映じた事柄、空の青さ、土の色、赤いゼラニウム、式服の黒い色、などを淡々と記述する。しかし、だからといって、ムルソーを人間的感情を持ち合わせていない人間とみるのは誤りであろう。彼は我々と同じように、やさしさ、ためらい、怒り、といった感情を持っている。例えば、「ママにすぐ会いたかった」という述懐、母親の棺の前で煙草をすうときのためらい、犬をなくしたサラマノ老人へのいたわり、裁判の際、セレストに対する心からの感謝の念など。しかし、そうした様々な感情の動きのあとに、判断を余儀なくされると、決って、「よく考えてみると大したことではなかった」と付け加える。つまり、彼は物事に決定的判断を下すべき正当な理由とか根拠というものを見出しえない人間なのである。彼はただ、事実をあるがままにみる、それだけだ。彼にはそれ以上の如何なる価値判断もない。彼は、何ものにも意味がなく、また、何ものも彼に関係がないと感じている。この作品のいたる所にあらわれる”cela m’etait egal” とか、”cela n’avait aucune importance” とかいった言葉は、このムルソーの感情を裏付けるものである。この無関心の究極の理由は”死”である。ムルソー自ら、このことを最後の条りで告白している:
「何も、何も僕にとっては重要性を持たなかったし、その理由も僕にはわかっていた。彼もまた理由を知っていた。僕の未来の奥底から、僕が過ごしてきたこの馬鹿々々しい人生のすべての期間、ある暗い息吹が、まだ来ない年々を通して、僕のほうへ立ち登って来る。そして、この息吹の通過は、やはり同じように現実性のない年々を僕が生きてきた間、人々が僕にすゝめてくれたものを、すべて同等の価値にしてしまった。・・・」
我々人間が死すべきものであるならば、生きて我々の為すことにどんな重要性があるというのか。母親の死も、結婚も、友情も、地位も、結局は海水浴や喜劇映画を観ることに等しいのではないか。普通、人生に意味を与える何ものもムルソーの心を動かすことはない。かくして、彼はただ「太陽」のせいで、何の理由もなくアラブ人を殺し、自己の裁かれる法廷に「異邦人」の如き無関心さを以て出席する。自分が犯罪者であるという意識はどうも彼にはピンと来ない。すべてのものが同じ重要性を持ち、自己の感情と自然界の働き以外に自分の行動を動機づけるものを何ら持たぬムルソーにとり、「罪」という観念は理解し難い観念なのである。しかし、このことは「シジフォスの神話」が語る「量のモラル」を具象化していると言えよう。
ムルソーは処刑の間際に司祭の訪問を受け、司祭は彼に、神を信じ、神の御手にすべてを委ねるようにと勧告する。が、彼は激しくそれを拒ける。このとき、この「哲学的自殺」の申し出を前にしてムルソーは、人生の不条理と、同時にその不条理な生を生きてきた自己の人生の確実さとを意識するのである。そして、それまでの、なにものにも意味を見出さなかった生活、あてのない労働とちょっとした快楽とを繰り返すだけであった生活が、「幸福であった」ことを理解し、また、今も依然として幸福であることを感ずるのである:
「あたかも、この大きな怒りが僕から悪を排出し、希望を追放してしまったように、この星としるしに満たされた夜を前にして、僕ははじめて世界の優しい無関心に自分を開いた。世界を自分と非常に似た、いわば兄弟のようなものと悟ると、僕は自分が幸福であったし、今でもそうだと感じた」
世界の優しい無関心から生まれたこのムルソーの幸福は、神の力によらず、人生をこれっきりのものとして生きることが出来たという自己の生に対する確信と、そのまま無と化して大地に帰ってゆく、自己の死という運命が自らの手に属しているという確信とに由来している。ムルソーは今や「幸福なシジフォス」なのである。
シジフォスもムルソーも、不条理に目覚めた人間である。彼らは虚無的な反抗と無関心とを以て不条理に応えた。しかし、「ペスト」においては、もはやそれでは抗しえないのである。死と苦しみが支配する不条理な世界で、人間は如何にして幸福をつかむことが出来るのか。人間のあくなき幸福の探求、これが次の「ペスト」の主要なテーマである。・・・
(50数年前のレポートの下書き)