~シスターへの手紙:パリで倒れて~

こんにちは。シスター、パリ事件と私のフカフカ頭に関してはいろいろありがとうございました。私は今もって mental と spiritual の境界がはっきりしていなくて、記憶の断片が幻覚なのか事実なのか定かでない部分が残っていて、しっくりしないところがあります。でも、回復してきたのだから、そこまでこだわらなくても良いのかもしれないと自分に言い聞かせたりしながら、これを書いています。

9月22日ー23日にSingapore からParis に向かう飛行機のなかでパニックに陥り、着陸1時間ほど前にオート発話とでも言うのでしょうか、唇がひとりでに動いて猛スピードで英語のめでたしを49回(なぜ49回なのかは分からず)唱えたこと(唱えた事自体は事実と飛行機の通路を挟んで隣の女性に確認済み)、私が血の汗を流していると言われたこと(これは多分幻覚)などが不思議です。

そして、空港からヴェルサイユのホテルに向かう筈のタクシーの中で(多分午前09:00頃)手足が死後硬直のようになり、顎が麻痺・痙攣するなかで二つのことが頭の中にハッキリありました。それは、このままホテルに行って途中で死んだら、親切なタクシー運転手に迷惑が掛かること、顎の痙攣がその儘に中途半端に生き残ったら、辛い人生になるということの二つでした。それで、病院に大至急直行してくれと運転手に頼んだのでした。その間、私は黄金色に輝くお花畑でものすごく身近に太陽を感じながら、心臓と頭だけが生きていて、体の他の部分は血の気のない体で横たわっておりました。でも、感性はエクスタシーそのものでした。

最初の救急病院で、助けようとしてくれた医師や看護人達にナントあろうことか説教し、文句を言った記憶があるのです。それも、立派なフランス語で。ときには英語も交えて。英語の方が上手く言えると判断したところはですけど。なんと言ったかと言いますと、「あなたがたフランス人は”Oui, j’ai bien compris. Si!”なんてしょっちゅう言っているけれど、ほんとうはなんにもわかってないんじゃないの。瀕死の病人が、外国語で必死に説明しているのに、入れ替わり立ち代わり別の医師や看護人が入って来てどうしました?なんて聞いて病人に何度も同じことを説明させて消耗させていいの?どうして複数のスタッフが同席して問診してくれないんですか、私はテープレコーダーじゃありません。テープに吹き込んでほしいくらいです。本当に bien compris なら、何度も同じことを繰り返し聞きませんよ。だいいち、いちいち人の話をさえぎって、聴いてないじゃあない。」みたいなことを言ってのけたんです。その間にもちゃっかり「お願い、助けて。J’ai besoin de votre aide. Vous etes tres gentils…」などとなだめすかしたりもして。これは幻覚ではないような気がします。
結局そこでは、ジャムとバターを塗ったフランスパンとヨーグルトを食べて元気にさせてもらって、さらにパリのFMMに連絡してもらいました。シスターバーバラと電話で話したのはその後です。(シスターバーバラにも失礼なことを言ってしまった気がする・・・ごめんなさい)それから St. Anne に回されたと記憶しています。

上記の記憶の件、立派なフランス語の筈がないですよね、顎が痙攣していたのですから。でも、自分では、どうしてこんなにすらすら必要な単語が出てくるのだろうと感心するほどだったのです(笑!)

次の病院に移る際の救急車の運転手には今度は “Je ne suis pas venue ici pour survivre. C’est pour vivre au soleil, dans l’air pure. S’il vous plait, ne me conduisez pas a l’opital…mais au Versaille…” とかなんとか言って、運転手に同情の涙を流させたりしているのでした。これも幻覚じゃないと思うのです。

ただし、次の救急外来で日本大使館の城戸さんにお会いしたころはもう待ち草臥れて疲れ果て、正常と異常の境界が曖昧になっています。もう夕方17:00 ころで、真夜中にSingapore を発って翌朝09:00頃タクシーに乗って、その間殆ど飲まず食わずでしたから。太陽に当たらないと私はもう手遅れになっちゃう、とか、自己確認を「私はヤマカワテルコです、私はヤマカワテルコです」と何度も言ったり、「太陽、太陽」と大声で言った記憶もあります。そして、太田先生に「治してあげます、私のこと分かりますか」みたいなことを言われて、「はい」と返事したのを覚えています。でも、もうその後は23日の夜入院したらしいのですが、24日の記憶は定かでなく、僅かにつけた日記から、その日の早朝に何度か黒いショーツ一枚でベッドに寝かされている自分を発見、ショック(笑)そして起床後シャンプーをし、太田先生の面接をレロレロの状態で受けたようなのです。

太田先生には、「とにかく食うちゃあ寝るをしてください」と言われ、そうしました。その間、いろいろな夢を見ました。Lourde の泉を訪れて、お水を頂いてきた夢も見ました.多分25年前に母と行った記憶が潜在的にあったからでしょう。

偶然の数字合わせとはいえ、聖フランシスコのご聖痕の日に出発し(9月17日がそうって知らなかったのです)、聖フランシスコの祝日(10月3日に発って4日に着いた)に帰国したのも不思議です。

くだらないことをいっぱい書いて申し訳ありません。私としては、貴重な体験の記憶が薄れない内にどこかに書き留めたいと思いながら、きっかけがなくて書かずにいたものを、今一気に書いてしまいました。

私は、来月から週に一回木曜日だけ、横浜のYC&ACで外国人に日本語を教えることになりました。まだ飛行機旅行は無理のようです。でも、北里先生にも言われましたが、滅多にできない経験をし、不快でなんとかしたいと思っていた多汗症と電磁波過敏症が治ったようですので(再発しなければ!)、ありがたいと思っております。

時節柄くれぐれもご自愛遊ばされますように。

感謝をこめて、かしこ。Teruko (1997年11月2日)

註:St. Anne : L’ hopital St. Anne 
    太田先生:Dr. Hiroaki Ota (太田博昭医師、パリ在住精神科医)