~形而上的な幸福:続き①~

タル―は、人間は誰でもめいめいその心の中にペストを持っていること、ちょっとうっかりしたすきに、ほかの人にその病毒を感染させてしまうこと、そして、各自気を緩めた瞬間に、ペストに罹ってしまうであろうことを知っていた。「希望なくして、心の平和はない」そして、まさに、ペストの中には希望はないのである。人間の中にある、この精神的なペストを閉め出さないかぎり、タル―にとり、平和というものはありえない。

「ただ、僕はこういうことだけを知っている ー 今後はもうペスト患者にならないように、為すべきことを為さねばならぬのだ。それだけがただ一つ、心の平和を、あるいはそれが得られなければ恥ずかしからぬ死を、期待させてくれるものなのだ。これこそ人々をいたわることができるもの、彼らを救いえないまでも、ともかくできるだけ危害を加えないようにして、多少いいことさえしてやれるものなのだ。そうして、そういう理由で、僕は直接にしろ間接にしろ、いい理由からにしろ、悪い理由からにしろ、人を死なせたり、死なせることを正当化したりする一切のものを拒否しようと決心したのだ」

これら一連のタル―の言葉は、当時のカミュ自身の思想を、そのまま表現しているとみて差支えなかろう。カミュもまた、拒絶によって死刑宣告という問題を解決しようとしていた。あらゆる抽象的なイデオロギーと、そのイデオロギーの下にあるあらゆる党派への加入をも拒むことによって、≪ペスト患者≫になるまいとしたのである。

この物語の終わりのころ、医師リューは、タル―の求めていたものについて、次のように説明する:
「またそれ以外にも、もっと少数の、恐らくタル―のような人々は、自分でもはっきり定義できない、しかしそれこそ唯一の望ましい善と思われる、あるものとの合体を願っていた。そして、他に名づける言葉がないままに、彼らはそれを時には平和と呼んでいたのである。

この≪平和≫という第3番目の形而上的幸福は、すでに述べた最初の二つの幸福のありかたと非常に異なるものである。形而下の、あるいは人間中心的な幸福を求める人間は、その探求の対象の中に具体的な回答を見出すことができる。あるいは自然界の美しさを、あるいは人間の愛情を見出すのである。ところが、タル―のように、超越的な何ものかに幸福を求めるものは、具体的な回答を得ることはできない。

「少なくとも、ここしばらくの間は、彼らは幸福でいられるであろう。彼らは今では知っているのだ ー 人が常に欲し、そして時々手に入れることができるものがあるとすれば、それはすなわち人間の愛情であることを。これに反して、人間を超えて、自分にも想像さえつかぬような何ものかに目を向けていた人々すべてに対しては、答えはついに来なかった。タル―は、彼の言っていた困難な心の平和というものに到達したかのように思われたが、しかし彼は、それを死の中で、もうそれが彼にとってなんの役にも立たなくなったときに、やっと見出したのであった」

(つづく)