~神の声を聞いて~(続き⑦)

五つの質問事項をフィルターにかけて実現する

わたしの神との会話は、わたしにとっては霊操以上のものです。命綱なのです。子供時代のわたしは、父にあまり構ってもらえませんでした。自分が父に愛されているのか知りたくて堪りませんでした。父親と一緒に居る他の女の子たちを見ていると、彼女たちの父親が自分の子供を褒めていたのに、どうして父はわたしを褒めてくれないのだろうと思ったものです。わたしがあまり可愛らしい子供ではなかったからかも知れません。頭も良くなかったのかも知れないし、わたしが望んで生まれた子ではなかったのかもしれません。

母が再婚した時、その相手の人がわたしを養子として実子のように迎えてくれたことは恵みでした。チャールスはわたしを実の子のように愛してくれた素晴らしい父親でした。それなのに、実の父親の愛と受容が得られなかったことは、わたしの心にぽっかり空いた穴のようでした。幼い女の子の自尊心というものは、往々にして、父親の愛に根ざしています。そして、その女の子の神観も、この地上の父親観に基づいていることが多いのです。

そのいずれもが、わたしには歪んだ形となりました。わたしの自尊心は、深刻なまでに欠落していました。自分のことを誰にも望まれていない、愛されていない、投げ捨てられた人間だと思っていたのです。神のことも、遠くにいて、わたしのことをなぜか価値のない存在と見ている冷たい統治者と考えていました。大人になって何年も経ってから、そうではない神の姿を描くようになりました。神はわたしを求め、愛して、ついにわたしは、神に心を捧げるまでになりました。その時に、奇跡が起こったのです・・・神はわたしのアイデンティティー(何者なのか)を再定義して下さったのです。

わたしはもはや、投げ捨てられた子供ではありませんでした。いと高き王にこよなく愛された聖なる娘でした。わたしは全く新しい被造物に生まれ変わったのです。幼い頃には見つけられなかった愛と受容を見出したのでした。わたしの中のその少女は、わたしが長いこと逃していた父親との時間を必死に求めていました。神は、わたしが可愛かったことを、特別な子で、頭の良い、何よりも愛されている子だったよ、とささやいてくださいました。

子供として見捨てられることがどれほど辛いかを体験した結果、わたしはいつも孤児たちのことを心のどこかで気遣うようになっていました。けれども、三人の娘を生んでからは、養子縁組のことはすっかり念頭から消えてしまいました。ところが、ある日、アフリカのリベリアという戦争で荒廃した国から、二人のティーンエイジャー少年を、神はわたしの家族にお引き合わせくださったのです。この出会いが、わたしの家族を永遠に変えてくれて、神は、彼らが私たち家族の一員となる筈だとわたしたちの心にはっきりとささやいてくださったのでした。

神のささやきを聞くや否や、わたしは素早く五つの質問をしてみました:

1.自分が今聞いていることは、聖書と繋がっているか?
2.それは、神のご性格と一致しているか?
3.それは、確かに、教会で聴いている時や静かに学んでいる時のメッセージか?
4.それは自分を超えているか?
5.それは神を嘉するものか?

(続く)