個人としての満足度
徹底的に従順な人たちは、物事を存在させるのに、戦略を立てたり、操作したりする必要がありません。それどころか、神の完璧なご計画に沿った真の満足感を頂くチャンスに恵まれているのです。私たち夫婦が、リベリアから息子を養子に迎えた時、子供が増えて責任が重くなるから、わたしの使徒職も終わりになるだろうと思っていました。けれども、そうはなりませんでした。神はその使徒職を成長させてくださり、助けてくれる人を増やしてくださり、更には、私たちの養子縁組の物語を人々に伝えるという素晴らしいチャンスをお与えくださったのです。Good Morning America や The Today Show と言う番組、その他国内の一般の番組などで、神に耳を傾け、従うことについて、自由に語ることができました。神は私たちの従順を心に留め、私たちの使徒職の持つ影響力を最大限に伸ばしてくださったのでした。
人々とのよりよい関係性
他者とのあらゆる関係において、こういうの好きだな、とか、正直ちょっとイラつくなと思われることがあるでしょう。徹底的に従順な人というのは、相手にキリストの面影を見、相手の人間臭さを容認することのできる器を持っています。人は、信徒であろうとなかろうと、皆、神の似姿に造られており(創世記 1:26-27)、神は狂おしいまでに彼らを愛しておられるのです。あなたは、徹底的な従順を約束なさる時、すべての人を神の愛の眼で見ているのです。
生きる意味と目的
作家のブルース・ウィルキンソン(Bruce Wilkinson)はこう述べています:
主は御自分の子を献身的に育て上げると、その子に、もっとあからさまに
更なる従順を求めるようになる。この時点で、信徒は主にもっと多くを望み、主のお求めになることは何でも喜んでするほどになる・・・この信徒にとって、従順はもはや重荷ではなく、聖書にそうしなさいと書かれているから
そうするのでもない。それどころか、従順は喜びとなる。なぜなら、自分の
最も親しい友であり、最も憐み深い主が、御自分に倣うようにと招いておられ
るからである。(Bruce Wilkinson, Set Apart (Sisters, OR: Multnomah Publishers, 1998), 175.)
私たちの心は人生のより深い意味を探し求めていますが、徹底的に従順な人はその意味を、主を愛することの中に、人生に主が用意された他者を愛することの中に、そして、よりイエスに似た人間になろうと絶えず努めるうちに、見出します。
(続く)