~50数年前のメモ②~

 「摂理が実際の問題であることはこれまで決してなかったし、これからも決してないだろう。それは、むしろ、もっとも力強い、もっとも逆説的な、そしてもっともキケンを伴う、勇気ある冒険的な信仰の問題である。
 万物は、神のみ助けによって幸福に終わるであろう、というのは、決して曖昧な約束ではない。しかし、不幸に終わるものも、この世の中にはたくさんある。如何なる希望も持ちえない状態というのはあるものだ。しかし、摂理のうちに与えられる信仰の満足とは、これである、すなわち、死が天から雨のように降り、残酷がその剣を振り回し、飢えと迫害の手が無数の人々を追い回し、そして世界中の牢獄や貧民街が人間を体も心もゆがめてしまう時、そんな時こそ、我々は、このような如何なるものも、我々を神の愛から引き離すことができないことを語るのである。この意味においてのみ、すべてのものは、善なるもののために、究極の善のために、ともに働いていると言えるのである。
 世界の国々はひとつ又一つと、軍国主義の階段を、地獄のような水素爆弾の破壊の渦へと降りて行っているという皮肉な意見を、私は絶対に受け入れることが出来ない。武器によらぬ真理と、無条件の愛が、結局は真実の言葉を語るであろうことを、私は信じて疑わない。これこそ、正義が一時は負けても、勝ち誇った悪より強いことの所以である」(マルチン・ルーサー・キング)
(卒論でカミュ研究しているときに出逢った言葉)